Blue Monday
ややこしいことはmixiとは別にしたほうがみんなしあわせだと思ったので、
こっちに書きます。
Bサイドとでも何とでもいって。
自分語りは徐々に減らしていきたいです。
今日は大きな発見があったので、恥ずかしがらずに自分のことを書きます。
振り返ると、僕ってすげー手続き志向型の人間だなー。
形式・礼儀・思いやり・行動などなど。
効果よりも意味を優先させてしまっている。
ここんとこ数ヶ月みっちりプログラマーとして活動させてもらってるんだけど、プログラムの世界には大きく、
・手続き指向型プログラミング
・オブジェクト指向型プログラミング
の二つがあるとされています。
で、流れとしては、手続き指向からオブジェクト指向へ。
抽象化された開発手法によって個別の作業は効率的になり知的財産の再利用性が高まると考えられています。
たとえばドアを開けるなら、
手続き指向では
open(door)
という命令(関数)になるけれども、
オブジェクト指向では
door.open()
というメッセージング(メソッド)になるの。
振る舞いを命令でコントロールするか、
対象(オブジェクト)にルールをもたせるか、
という違い。
同じプログラムを開発するにあたって、ブレイクダウン(細分化して落とし込む)する考え方がちがっています。
で僕は昨日、急に気付きました。
いままさに開発されようとしているプログラムを「世界」に置き換えて考えると、
手続き指向では、
世界を<振る舞い>を単位としてブレイクダウンすることで、
<対象>に向き合うことに縛られざるを得ない
(だから直線的で効率的でない)
一方、オブジェクト指向では、
世界を<対象>を単位としてブレイクダウンすることで、かえって<振る舞い>に注目することができる
でね、これって、
プログラムだけの話じゃないって感じしない?
僕は昨日そう思った。
抽象化されたオブジェクト(対象)を指向することで、逆にまなざしを自分や相手の<振る舞い>に目を向けることが出来る。
つまり、人それぞれの固有のバックグラウンドに対する思いを一度わきにおいといて、
特徴的ないくつかのパターンの組み合わせのようなものとして周囲の存在を分類して、
抽象的な「類型」として受け流す。
一見するとそれぞれの人たちのかけがえのなさ、固有のいのちのようなものを軽視しているようだけれど、
そのことでかえって
人の振る舞いのかけがえのなさに気付くことができて、互いの行動・選択・自由意志を大切にしてあげられる。
この発見こそが、オブジェクト指向の持っていたインパクトというか、ちょっとしたパラダイムシフトだったんじゃないか?
ちょうど同じ意味の大きな転回を、僕も今年後半に経験することができた。
結果的に言えば、流してればみんなしあわせだったんだろーねー。おわり。ってことだったの。
手続き志向的に考えた僕は、
でも!でもな!
黙ってたっていいことないじゃん??
まっすぐ向き合えば伝わるよ!
多少ラフライドになっても、みんなで幸せになろ!
って考えた。
そして先日の、どこにも逃げ場のない状況。
いまなら僕は、
相手の立場について考えられる気がする。
ひとことで言えば「いまどき」の、礼儀しらずで個別の問題にまったく気付けない、天真爛漫なおてんば姫ってことになるけど、
そうなのです、彼女はオブジェクト指向だったのです!
そりゃーぶつかるわけだ。
相手にしてみれば
流そう流そうとしてるのに妙におせっかいな人にとやかく言われて、また流そう流そうとする。
こちらはこちらで、
流そうとしてるのが見え見えでちっとも伝わんないし手ごたえなくて自分の伝え方が悪いんだとか思って、また伝えようとする。
そのうちお互い余計なことまで言ったり言わされたりして、誰が何のために何をしてるのかよくわかんないことになっちゃった。
わかいだろ、ぼく!
ほんとごめん!
ごめん!
でね、今ちょこっと思った。
これに気付いたってことは僕もオブジェクト指向になってきてんじゃないの?
僕としては、やっぱりあなたのような人といろいろ話せて、
いっぱいいろんなものもらったなーって思ってる。
あーこれは手続き志向の発想だなー。
「繊細すぎ!」って怒られたわけですが、
いや実際には怒ってくれるほど僕に関心はなくて
率直な感想だったんだろうけど、
僕はそんとき「僕みたいな人間もいるのが、社会でしょ?」って余計なことを言っちゃった。
これはね、もちろん僕にとっては重要なこと。
自分を社会の中に位置づけることが出来ているということがそのとき自分でもはじめてわかった。
でもそれってようするに「なんで認めてくれないんだよー。うわーん」ってことと一緒だから、いまいましいやつめ!超恥ずかしい!
やっぱり結構ぼくにはむずかしー問題なの。
自分を曲げずに、相手を優先するってことが。
でもね、自分の地図に、新しい補助線がまた一本ひけた。
素直にうれしい。
何年・何十年後になってもいいから、ありがとうっていいたいなー。
今はごめんなさいのほうが強いけどね。。。