いま作ってる途中の新サービス一覧

今作っている途中、作りかけの新Webサービス スクリーンショットです。

  • Social Crawler - Automate your new footprint

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英語・グローバル版の「mixiサーフ」です。
海外有名SNSに順次対応予定。
08/03/20現在、ページの見た目だけはきっちりできてますが
肝心のプログラム部分はわりとトンチンカンなままです。

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WebサイトオーナーやIT関連サービス業に従事している人に使ってもらいたい便利なツールを公開していく予定です。
08/03/20現在は「一括検索」だけさくっと公開中。ページデザイン?まだ考えてないよ!

  • PSPマイポータル [あなたのPSP専用トップページ!]

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PSPのブラウザ起動時ファーストページ(ホームページ)に便利なサイトがあればと思って制作中。
せっかくなのでディレクトリ型のポータルと、ソーシャルブックマークSBM)を合体させちゃおうと思います。
いまあえてディレクトリ型ポータル!どうなんの?
08/03/20現在 ティーザー(ティザー)サイトとなっております。

  • OpenIDアカウントセンター

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ようやく国内でも話題になってきた「OpenID」規格。
ここではOpenIDを作るためだけのシンプルなサービスを公開予定ですが、ぶっちゃけまだ作り始めてません!
ドメインがとれちゃったもんだからってんで、
08/03/20現在 ティザーだけです。




他にもいろいろごにょごにょあるので
気になるという奇特な方がいらっしゃればこちらをどうぞ。

Fw:優先座席のことを真剣に考えてみたい

前回の日記が、エントリ作成時にミスっていて最新の日記にコメントができなくなっていました。
(はてダのブログモード時のアスタリスク表記を記述し忘れていました)

ですので、前回の日記にコメントをいただいたのですが、別の日の日記のところに書かせてしまいました。失礼しました!

そこで、この新しいエントリで、いただいたコメントにお答える形で前回のエントリの内容を補完したいと思います。

理由は別に「釣り/釣られ」とかでは一切無く、ただ
1.自分として大切なことについて考えているつもりなので改めて書きたい
2.前回のエントリだけではどうも適切に伝わらないかったのだと感じた
3.別の日のコメント欄でレスをつけるのがあまり美しくない気がした
からです。

また、いただいたコメントを新しいエントリのネタにすること自体は僕の本意ではないので、もちろん個人攻撃がしたいとか、あげ足取りがしたいとか、ケンカがしたいとかいうことではありません。

この点あまりお気になさらないでいただければ幸いです。

さて、前回の日記
http://d.hatena.ne.jp/taichistereo/20070530
に対して、1さん という方からいただいたコメントは、

優先席以外では譲ることは想定しなくてよいということですか?席によって考えをコロコロ変えるのは変だと思います。譲ることに意味があるのであって優先座席が無い電車では常に座れないことになってしまいます。
優先座席は困っている人が居たら何歳であろうと、どこであろうと助けるという精神をもつきっかけだと考えるべきだと思います。

というものです。

僕の話の展開があまり美しくなかったりしたためだと思うので、おそらく 1さん と直接face to face でお話しできていたら、僕の基本的な考えはこの1さんの考え方と同じだとわかっていただけると思います。

つまり「困っている人が居たら何歳であろうと、どこであろうと助けるという精神」は僕も大切だと思っています。

優先座席の存在がそのように考えるきっかけになるというのはとっても良いことだと思いますし、まさにその通りだと思います。

でもそのうえでさらに僕が言いたいのは、ざっくばらんに言うと
そんなのは当たり前である
と言う考え方を前提として
それだけでは不十分である
ということです。

つまり、

優先席以外では譲ることは想定しなくてよいということですか?

というコメントをいただいたのは全く持って僕の考えていることと逆です。
やはりおそらく僕の説明が十分ではなかったのだと思います。

ですのでここで改めて説明したいと思います。


■普通の座席

まず、優先座席とそれ以外の座席についての区別についてです。

一般的な認識としてひとまず、

優先座席:困っている人がいたら席を譲る
それ以外:ふつうに座る

という素朴な考え方が可能だと思います。

では、優先座席以外の座席で“ふつうに”座るというのはどういうことかと言えば、
僕にとってもコメントをいただいた方にとっても
優先座席と同じように、困っている人がいたら席を譲る
ということだと思います。

ただ僕は、各個人の裁量として「席なんか譲んないよ」というポリシーも、それはそれでOKだとも考えています。

よく言われる「お年寄りだと思って席を譲ろうとしたら断られた」というケースなどに起因して「まぁ今回は譲らなくてもいいか」なんて考え方は、それはそれで仕方ないと思います。

正直なところ「席なんか譲んないよ」というポリシーなんて唾棄すべきものだと思わずには居られませんし、“仕方ないと思う”ということはつまり“しかたねぇ奴だ、つまんねぇ奴だ、尻の穴の小さい奴だ、勇気のない奴だ、器の小さい奴だ”と僕は感じてしまう、ということです。

が、そうは思えどやはり人の考え方であり行動なので「なんで譲れないのあなたは」などとは決して言えません。

そう言っていやいや席を譲ってもらったり、自分以外の誰かのために席を譲ってもらうようにしても、お互いあまり気持ちの良いことではありません。

それに、これは大事なことですが、僕自身も幼い頃から今に至るまで一度でも困っている人を見捨てなかったかと言えば、そう断言できる自信は僕にはありません。

たとえば学生の頃はそんなことを自発的にできませんでした。
それは僕の当時の性格によるところが大きかったと思うのですが、自発的な行動全般に対する勇気がなかったために電車の中で周りの人のことを考えたり出来ませんでした。

また社会人になってから1〜2年ほどは、「人よりも過酷な仕事に就いている」という、今考えれば言い訳にもならないようなひどい言い訳を心の中に抱いて、僕は自己中心的に考えるばかりで周りのことを考えていませんでした。

そういう自分だったからこそ、いま松葉杖をついて僕が電車に乗ったときに
・気付いていても席を譲れずにモゴモゴしてしまっている人
・そもそも優先座席に座っている人が全員寝ている
という状況をみると、
かつての自分の姿と重なり「仕方ねーなまったく(’・ω・)=3」と感じます。


■区分のシフト、底上げ

では次に、かつてそのように「仕方ない奴」だった僕が、自分自身の骨折という経験を通して、いかに考え方がシフトしたかという点です。

この点がおそらく、コメントしてくださった 1さん と僕との考え方が、現在において多少異なるところだとおもいます。

先にも書いてきたとおり、

電車の座席は

優先座席:困っている人がいたら席を譲る
それ以外:ふつうに座る

と素朴に考えることが出来、“ふつうに座る”とは各個人の裁量によって

1.何も考えずに座る
2.困っている人がいたら席を譲る

と(表面的には)大別できると思います。


ですが、自分が交通弱者になってようやく、
・優先座席に座っている人が全員ねている
とか
・優先座席に座っている人が全員お年寄り
とか
・ある程度車内が混雑していると、座席から乗車した交通弱者の姿が遮断されてまったく見えない
とか
・大きな声で「席を譲ってください」と周りに伝えても無視された
とか
・移動に疲れ果てて声も出せなかった
とか
・ようやく空いた座席に座ろうとしていたら、後から乗ってきた人が追い越して席に座った
とか
・疲れ果てて床に座らざるを得なかった
とかいう状況に直面し、その都度かるくショックを受けるという経験をしました。
(恥ずかしい話ですがこれまでに2度、車内で涙を流してしまいました。)

あるいはまた
・長い乗り換えを歩いてようやく電車に乗り込んだら女性専用車両で、車掌さんに頼んでも空いている優先座席にすら座らせてもらえなかった
とかいうこともありました。

こういった経験を通して、僕は電車に乗るたび、理想的な車内というものを想像してみていました。

どこにぶつけてよいのかわからない憤りを感じるたびに、どれほど多くの人が辛い思いをしてきていたのか、自分はどう行動してくればよかったのか、本当はどういう車内ならよかったのか、考えていました。


結果、僕の考え方は以前より少しシフトしました。


あくまで今後の自分の行動規範としてですが、

優先座席:困っている人がいたら席を譲る
それ以外:ふつうに座る

ではなく

優先座席:困っている人がいたら席を譲る
それ以外:困っている人がいたら席を譲る

でもなく、

優先座席:可能な限り座らない
それ以外:困っている人がいたら席を譲る

という風にしたいと考えるようになりました。



交通弱者にとっては優先座席が「いつ電車に乗ろうとしても空いているところ」であれば、肉体的にも心理的にもかなり負担が軽減できると考えています。
もちろんこれはあくまでもひとつの理想として。

これを自分だけのルールとしてではなく“社会のモラル”として期待してしまうのは、まさに“理想にすぎない”。

理想だから、自分という単位を超えて考えてしまうことに無理はあるのだけれど、社会的には

優先座席:いつも空いている席
それ以外:交通弱者にいつでも譲ることができる席

でのように考え方がシフトしていってほしいと願います。


■率直に言うと

ここまでの考え方をくだけた言い方に乱暴にまとめてしてしまえば、
いま席を譲れない奴は、この先自分が席譲ってもらえるなんて思うなよ
そういう覚悟しとけよ
という話になります。
(もちろん、昔の自分のことを棚に上げた考え方なので、これは大きな声で言うべきことではないとわかっています。。。)

年をとってからや、僕自身が身体が不自由になってしまってからこんなことを考えるようになったり、人に言い出しても「遅かったのだ」と思っています。

もっと早く、こういう考え方に論理的に到達すべきだったと後悔しています。
あるいはこの身で経験してみないと想像力が働かなかったという自分が恨めしいです。

やや甘い期待を込めながら、
たとえば10年前からこういうことにぼくが気付いていれば、僕でさえ気付くのだからきっと世の中全体がそうであっただろうなぁ
という反省してしまいます。

これはやはり飛躍した変な考え方だと自覚していますが、
割とリアリティをもって実感しています。


■個人的な今後について

自分がどういう状況でも、先にも書いたとおり、

・僕は優先座席はできるだけ座らないようにして、空けておくようにします。
・僕はどの座席座っていても、できるだけめざとく交通弱者に声をかけ、席を替わることを提案します。
また、
・それ以外の公共の場でも、困っている人に気付けば見て見ぬふりをしません。
・困っているか困っていないかある程度判断できるぐらいには、周囲の他者の姿に興味を持ち続けるよう努力します。

幸い、完治するかどうかは別としてですが、僕の骨折はある程度もとの状態まで戻ると診断されています。

ですが、完治してもしなくても、またどんなに年をとっても、
いつも自分より大変な人の姿に気付き、行動できるようでありたいと思います。
精神的・肉体的に。
理想ではありますが、もっと努力したいです。


23ぐらいから、家族のことを真剣に考え始めました。

25ぐらいから、家族に具体的な行動を起こすことが出来るようになりました。

26ぐらいから、仕事のお客様方に真剣にぶつかっていけるようになりました。

いま27で、骨折を通していろんなことを考えました。

これからもっと、周りの人に幸せになってほしいし、自分自身も少しでいいから幸せになりたいです。

優先座席のことを真剣に考えてみたい

今日は病院に行っておそくなったのでお客様から休んでいいょと言っていただけました。
うれしいと思っちゃいけないけど正直うれしい!


余裕があるので、まじめな話をします。


正論を言うよ。


まず結論から言いますが、
電車がどんなにガラガラでも、優先座席には座るべきではありません。
可能な限り真剣に努力してください。


僕もそうしています。
足を骨折していて両足で立てない人間でも、高齢の方に席を譲っています。



電車の中は休む場所ではない、と考えるべきかもしれません。
たとえ優先座席しか空いていなくても、立っていられないほどの状況なのか、真剣に考えてください。


そのほうがきっと、楽しくなると思います。


骨折する以前の僕がどうだったのか、想定される疑問についても下で説明します。


まず、
「そこしか空いてなくて他に人がいなければ、優先座席でも座るよ」って、みんな考えてないかぃ?

だって誰にも文句言われなそうだもんね。


でも、こういうとき真剣に考える余地があるよね。

電車が次の駅に止まって、
高齢の方や身体の不自由な人の姿が自分の目に入ったときに、ほんとにひとこえかけられるかい?

あるいは、電車が混んできて、座っている位置から周りが見えなくなっていても、それでも「困っている人がいたら席を譲れるからOK」なんてほんとに言えるかい?

しかもそんな状況で、困っている人にまで届く大きさで声を出す勇気がほんとにあるかい?

優先座席で目を閉じて寝ないと誓えるかい?

内臓に疾病をもつ方を、間違いなくそれと見抜ける自信があるかい?

たとえば自分が無視した相手が、実はうちの会社のお客さんだった!なんてことに無視した後で気付いたとしたら「やべー」とか思わないかい?


この2〜3週間で僕が思うのは、多くの人がたぶんそんな脆弱極まりない根拠にもとづいて確実に誰かを見捨てていて、そのことに気付いていないし気付こうともしないということだ。

きみの幸福は、砂の城かもしれないょ?
誰かを踏み台にしても気づけない冷酷な人間かもしれなぃよ?


この2〜3週間で僕が目にしたのは、交通弱者を邪魔者のように見る人たち、気付いても声が出せないで自分に言い訳してしまった人たち、そもそも周りを見ていない人たち、そんなのばっかりだ。


公平を期して僕の話をすれば、
僕は骨折する前から、
優先座席でなくとも、どんなに自分が高熱でも徹夜続きでも、必ず正しいことをしてきた。

電車に乗るときはブラックブラックガムを噛んでいる。
(常に、なんだけどね)
電車の中でもPCで仕事してたぐらい寝たくなかった特殊な人間の言うことに過ぎないかもしれないけど、
ぼくは、正しいことをしてきた自分のことだけは誇りに思える。

だから骨折してる今も同じだ。
やはりあくまでも僕の見立てでしかないけれど、
「今なら座らなくてもがんばれそう」そして
「あの人はきっと立っていると大変だろう」と思ったら、
一切迷うことなんてない。


もちろんこんなのは僕の考えであって
誰かに押しつけられる価値観ではないけれど、
<想像力>が大切だというひどく緩やかな提案です。

あと<勇気>とか。

勇気は、別に物語のなかだけで問われるモノではありませんょ。

愛情は、別に恋人や家族、友人ためだけのものではありませんょ。


んで、これら全部は電車のなかの話、優先座席の話、交通の話だけではありませんょ。
ねー。


幸いにして僕のおともだち・お知り合いは、
僕なんかと仲良くしてくれるぐらいほんとにぃぃ人たちばっっかだけど、
こういう話を、もっとみんなでしていけるような世界であってほしいです。
ほんとはこんな話をする必要がないのがいちばんだけど。

「自分を曲げずに人を優先する」社会であってほしいです。

だってそのほうが、楽しいことが今より増えると思います。

Blue Monday

ややこしいことはmixiとは別にしたほうがみんなしあわせだと思ったので、
こっちに書きます。
Bサイドとでも何とでもいって。


自分語りは徐々に減らしていきたいです。


今日は大きな発見があったので、恥ずかしがらずに自分のことを書きます。




振り返ると、僕ってすげー手続き志向型の人間だなー。
形式・礼儀・思いやり・行動などなど。
効果よりも意味を優先させてしまっている。


ここんとこ数ヶ月みっちりプログラマーとして活動させてもらってるんだけど、プログラムの世界には大きく、

・手続き指向型プログラミング

オブジェクト指向型プログラミング

の二つがあるとされています。


で、流れとしては、手続き指向からオブジェクト指向へ。
抽象化された開発手法によって個別の作業は効率的になり知的財産の再利用性が高まると考えられています。

たとえばドアを開けるなら、
手続き指向では

open(door)

という命令(関数)になるけれども、
オブジェクト指向では

door.open()

というメッセージング(メソッド)になるの。


振る舞いを命令でコントロールするか、
対象(オブジェクト)にルールをもたせるか、
という違い。
同じプログラムを開発するにあたって、ブレイクダウン(細分化して落とし込む)する考え方がちがっています。


で僕は昨日、急に気付きました。
いままさに開発されようとしているプログラムを「世界」に置き換えて考えると、


手続き指向では、


世界を<振る舞い>を単位としてブレイクダウンすることで、
<対象>に向き合うことに縛られざるを得ない

(だから直線的で効率的でない)


一方、オブジェクト指向では、


世界を<対象>を単位としてブレイクダウンすることで、かえって<振る舞い>に注目することができる


でね、これって、
プログラムだけの話じゃないって感じしない?
僕は昨日そう思った。


抽象化されたオブジェクト(対象)を指向することで、逆にまなざしを自分や相手の<振る舞い>に目を向けることが出来る。

つまり、人それぞれの固有のバックグラウンドに対する思いを一度わきにおいといて、
特徴的ないくつかのパターンの組み合わせのようなものとして周囲の存在を分類して、
抽象的な「類型」として受け流す。
一見するとそれぞれの人たちのかけがえのなさ、固有のいのちのようなものを軽視しているようだけれど、
そのことでかえって
人の振る舞いのかけがえのなさに気付くことができて、互いの行動・選択・自由意志を大切にしてあげられる。


この発見こそが、オブジェクト指向の持っていたインパクトというか、ちょっとしたパラダイムシフトだったんじゃないか?


ちょうど同じ意味の大きな転回を、僕も今年後半に経験することができた。

結果的に言えば、流してればみんなしあわせだったんだろーねー。おわり。ってことだったの。


手続き志向的に考えた僕は、


でも!でもな!
黙ってたっていいことないじゃん??
まっすぐ向き合えば伝わるよ!
多少ラフライドになっても、みんなで幸せになろ!


って考えた。


そして先日の、どこにも逃げ場のない状況。


いまなら僕は、
相手の立場について考えられる気がする。
ひとことで言えば「いまどき」の、礼儀しらずで個別の問題にまったく気付けない、天真爛漫なおてんば姫ってことになるけど、
そうなのです、彼女はオブジェクト指向だったのです!
そりゃーぶつかるわけだ。


相手にしてみれば
流そう流そうとしてるのに妙におせっかいな人にとやかく言われて、また流そう流そうとする。

こちらはこちらで、
流そうとしてるのが見え見えでちっとも伝わんないし手ごたえなくて自分の伝え方が悪いんだとか思って、また伝えようとする。

そのうちお互い余計なことまで言ったり言わされたりして、誰が何のために何をしてるのかよくわかんないことになっちゃった。


わかいだろ、ぼく!
ほんとごめん!
ごめん!


でね、今ちょこっと思った。
これに気付いたってことは僕もオブジェクト指向になってきてんじゃないの?


僕としては、やっぱりあなたのような人といろいろ話せて、
いっぱいいろんなものもらったなーって思ってる。
あーこれは手続き志向の発想だなー。


「繊細すぎ!」って怒られたわけですが、
いや実際には怒ってくれるほど僕に関心はなくて
率直な感想だったんだろうけど、
僕はそんとき「僕みたいな人間もいるのが、社会でしょ?」って余計なことを言っちゃった。


これはね、もちろん僕にとっては重要なこと。
自分を社会の中に位置づけることが出来ているということがそのとき自分でもはじめてわかった。


でもそれってようするに「なんで認めてくれないんだよー。うわーん」ってことと一緒だから、いまいましいやつめ!超恥ずかしい!


やっぱり結構ぼくにはむずかしー問題なの。
自分を曲げずに、相手を優先するってことが。


でもね、自分の地図に、新しい補助線がまた一本ひけた。
素直にうれしい。


何年・何十年後になってもいいから、ありがとうっていいたいなー。
今はごめんなさいのほうが強いけどね。。。

やくそく

おはよう!
いま起きた!


むねがいたい☆
トホー



きのうね、かぞくのためのクリスマスプレゼントかってきたー(自分の好きなものを)


今年はいろんな方にお世話になりました。
この日記読んでくれてるキトクな方も、そうでない方も、みんなありがとう!

名前も知らない、話したのは数分だけどとってもよくしてくれたお店の人とか、駅員さんとか、郵便局の人とか、電話サポートの人とか、みんなみんな。


いっぱい迷惑かけたけど、後悔していません。
できなかったこといっぱいあったけど、それが今の僕です。


ことしもいろんなことがありました。
ことばにできないような、ひどくめちゃくちゃな2年間でした。
でもそれが僕にとっての前置きではなくなって、いま、言い訳でもなくなろうとしています。
それがきっと今の僕だよ。


決め事をつくろうとおもいます。



日記を書くのはあさ。

一人でいるときはごはんたべない。

かならず誰かと食事をする。

毎日野菜を食べる。

ぜったいに人のことを悪く言わない。

毎週そうじする。

毎週クリーニングだす。

毎週洗濯する。

毎月20万仕送りする。

毎月10万貯金する。

毎日技術書を1セクション読む。

毎日ふつうの本を1セクション読む。

毎朝ToDoをかく。

ぜったいにサーバーを落とさない。

人といるとき以外たばこを吸わない。

水とコーヒー以外飲まない。

毎週運動する。

ぜったいに逃げない。

ぜったいに心を閉ざさない。

学びたいことをかならず学びとる。

ぜったいに自分を曲げない。

ぜったいにあせりたくない。

ぜったいにあきらめない。

かならず人を幸せにする。

ぜったいに無駄遣いしない。

ぜったいにタクシーにのらない。

ぜったいに時間を守る。

ぜったいうそをつきたくない。

ぜったいになかない。

ぜったいに同じ失敗をしない。

どんな状況でもかならず自分から話しかける。

ぜったいにくじけない。

ぜったい自分を偽らない。

ひとりでいるときに絶対だれかといるときのことを考えない。

うたうように話す。

声を大きくする。

ぜったいにはずかしがらない。

ぜったいに人を見捨てない。

うたうようにキーボードをたたく。

凡ミスをへらす。

大局を見つめる。

ぜったいにキャパシティを超えた仕事をひきうけない。

ぜったいに期日をまもる。

ありがとうとごめんなさいをかならずその場で言う。

できるだけあやまらないですむようにする。

わるくないときはできるだけ謝らないようにする。

人に優しく、自分に厳しくする。

ぜったいに人との約束を守る。

ぜったいに自分の言ったことを守る!!



今からやってみます。



みんな、よいお年をむかえてね!
また来年、はじめて会う人も、ぼくのこと知ってくれてる人も!
 

あとね、来年こそは恋人つくるぞっ!


正常に動く時計をむねにしまいこむんだ。

そうすれば、自然と視線は未来へと向かうからね☆


ばーい!

Venus and Serena

わかったよう、わかったよぅ。


ぼくがばかなのはよーくわかったょぅ。。。


だからもう一日にいっぱいやなことははかんべんしてよぅ


ウワーン


うそなき!!!


いろんなことがあるから、いいんだもんねー


きょがだめなら、明日は自分らしく!


ぜんぶ自分だから、ぜんぜんだいじょうぶ!


というかじぶんのこと気にすんのは10ねんはやーい!!


なんのためにいのちかけてんのって、そゆはなし!
明日もトリャー


がんばりがたりないから、ぼく、がんばるよ


これで言い訳はさいごにするよ。
さすがにもう言うことないの