Just Another Illusion
ビール飲んでから書いてるのでめちゃくちゃになるかもしれないよ。
記憶が抜け落ちていることにはっきり気付いて数日たって、その瞬間軽い失望に襲われたことさえも忘れつつあります。
「僕は記憶がないんだ」なんてエドワード・ノートンじゃあるまいし、ちょっとドラマチックすぎるのでもうすこし正確に言うと、これまで、思い出や経験は実感としてなにか一定の重さや暖かさのようなものを称えていたはずなのだけれど、それがもうまったく自分とは関係のないような、どこかで誰かに聞いたことのある単なる知識だとしか思えないって感じなんだよ。例えば喫茶店で、隣のテーブルにいるひとたちの話が偶然聴こえてきただけ、みたいなね。
自分の記憶は僕にとって特別だと思っていたのだろうし、特別であってほしいと、特別でないといけないと、そういう理由を感じていたのだろうけど、なんだろう、箍がはずれてしまったと言うべきか一貫性の神話から解き放たれたと言うべきか、過去とも未来とも切り離されて突然放り出されたみたいです。
正直こわいよ。目を閉じても何も浮かばないし、ぼんやりタバコを吸っていても目の前の風景以外何も見えなくて、これまでなんとなく感じていた自分の中の深層にあるものとか、それがどこにもないのね。一体僕は何を信じていたんだろう。
いまスッカスカの自分が思うに、たぶん意識がはっきりしてたころの僕は、何かウェットなものにリアリティを感じていたんだと思う。「何も思い出せないや」って悲しくなったときにはじめて、これまで僕を駆動させてきた神話のようなもの、疑うことなく心の中心に据えていた支柱のようなものがあったんだなと思ったのね。
これはたぶん、はじめて社会に出たころにもこういうことを感じてたような気がするんだけどね。
そう思うともしかしたら、何も思い出せないってのはものすごく当たり前のことなんじゃないかとさえ思えてくるんだよ。なんていうのかな、自意識から自由になってがむしゃらに頑張ってるような感覚?
でも僕はいまそういう感じではないような気がする。
たしかに目の前のことだけしか僕にはないんだけど、なんだろうもう少し広い世界なんだよね。がむしゃらに頑張ってる自分が好きとか、信じてれば必ずいいことあるとかそういうんではないの。もっと何もなくて広いところでぽつんとひとりって感じ。
じつは、これが自由ってやつなのかな、自立ってことなのかな、って気がしなくもないんだよ。実際どうなんだろう。
でも自分の状況についてことこまかに、熱っぽく方って見せるような振る舞いには無理を感じるから、ほんとにぼくは今何かから解放されているのかもしれない。
実際のところ、ここ数日で毎日食べるものがすごい変わった。食べたいと思うものがはじめてのものばかりというか、もずくとかめかぶとかそんなもんほとんど食べたことなかったはずしウィダーインゼリーとか何の違和感もなく口にしてるし、1週間くらい前から普通にヘルシアばっかり飲んでるし、松屋でもマクドナルドでもなくモスバーガーに行ってるし、ここまで何事もなく何もかも摩り替わるなんてこんなことありえるのかなぁ。
ただ思うのは、たぶん僕は、そうしたかったんだろうな。誰にも話したことなくても、なんか僕はそういうこと考えてたんだろうな。
だったら、たぶんこれは悪いことではないんだろうね。こわがる必要もないのかもしれない。
でも、じつはこういう理想があって、それは現実とはちがって、っていう、思いと現実との齟齬っていうか、いわゆる「行間」だよね、そういう豊かさってのは確かにあったはずなんだけどそれが失われてしまうというか何もなかったかのようになってしまう?
それは多分取り返しのつかないと言うか立ち戻ることの出来ない場所なんだろう。
あんなに若かった自分ってほんとに馬鹿みたいだったね!って笑うひまもなく、全部なかったことになって、僕はもう誰でもなくなってる