プロファイリング #1

えーと不思議なもので、

日記書くのあんまりなぁとか書いてしまったあとになると

日記が書きたくなるのだね。

不思議なことは好きなので、いいよ。



  * * *



母は今日、1時間電話で格闘した末にメールの設定を済ませた。これで実家の人間のメンタル面がフォローしやすくなるだろうと期待する。子が子なら、親も親だ。



  * * *



ここ数年、というか、

某テレビ局を辞めてから

その某局で放送される深夜ラジオを結構聞いているのだけれど、

数ヶ月前から「デジオ」も聴いている。

お気に入りは「ラジオ沼」「デジゼン」「デジオシャイニング」「エブリ・ウントロ・シス」あたりだ。



こないだ、かえるさんの「ラジオ沼」でヘンリーダーガーについて触れられていて、「斉藤環氏の文章を読まれた方はメールください」とおっしゃっていた。



そこで気まぐれを起こして、ちょっと真剣にメールを書いてみたところ、なんと、メールが読まれたのだぁぁぁ。おもしろいなぁ。おお自分も生きているんだなぁというか、かえるさんって実際に居るんだぁーというか、かなりリアルな感触でした。



メールを読む声を聴いているときのドキドキ感は結構すごい。かつてKBS京都のラジオ番組で初登校ハガキを採用された時のことを思い出す。同級生は日高のり子の出すクイズに電話で答えたり、あるいはまた「おれ、『バスタオル魔人』っていう名前やねんけど」えっそれ知ってるよ!みたいなこともあったなぁ。



あるいは最近、「ファミコン小学校」というサイトの管理人さんから自作CDを買って、ちょこっとBBSに書き込んだりもしている。ここ1年、人と触れ合うということは本当にこのぐらいだけだと言ってもいい。



ラジオから聞こえる声、書かれた書物、たまにメッセンジャー。僕は別に一人になりたかったわけぢゃないけど、そうでなきゃ、生きながらえてこれなかった。いろんな意味で。



まともな生活習慣とか、人との間合いのとり方とか、明るい笑顔とか、この1年足らずで失ったものは、もうそりゃとんでもなく大きかったと思う。在宅勤務になったはいいが、僕はもう疲れ果ててる。nadsatは俳人になったが、ぼくは廃人だなんつってな。不眠症の次はナルコレプシーかよ。廃屋に住む廃人がひとり。



かえるさんの話題はそのとき「アットホーム感」というものに関するもので、ぼくはそのなかで言われていた<痕跡>という事柄を共通のテーマに据えて、<場所の固有性>について記してみた。するとかえるさんはすごく真摯に、行動心理学の<ホームポジション>の話や、萩原朔太郎の家の手すりの話とかを展開してくれた。



これはもうゼミのころを思い出すとかそんなんじゃなく、「あっ、人と話すってこういうことだったんだ」とか、人との交わりについて想起させられた。デジオに対するメール、なんていう変則的な形ではあるが。



実はメールを書いている途中に斉藤環を読み直していた時に、「あっこういう作業、ぼくは好きだった」とか急に思い出したりしている。



何だかよくわからない事実の集まりでしかないのだけれど、すごく目の前が明るくなったような気がしているんだよ。自分でもこれが、突き詰めればなんてことのない感覚だというのはよくわかっているのだけれど、ね。こういう大切なことを僕はすぐ忘れるので僕は同じことでしょっちゅう感銘を受けたりしているのだなという自己分析が今日の成果である。



以上、捜査日誌。僕の文章ながいね





ラジオ沼

http://www.12kai.com/numa/



第183回

http://homepage.mac.com/carte/numa/numa183.mp3



第185回(メールが読まれた回)

http://homepage.mac.com/carte/numa/numa185.mp3



デジオの宇宙色々

http://dedio.jp/