おたく:人格=空間=都市 凱旋展示

展示のあと(思ってたよりも楽しかった)、シンポジウム。



斉藤環は著作でも口語でも同じくらいキレキレで、ギャップが少ない。NHKではあまり面白いトークとは言えなかったが、こういう砕けた調子でしゃべることも出来る人なんだな、と感心した。そこまで精緻ではなくて、あきらめや投げやりなところさえ感じられることも多いが、それがかえって誠実に映る。スキのない表現を瞬間瞬間で選んでいる。まったく安心して聴いていられる。アグレッシブではないが、これも説得力だ。ヲタクは美少女に萌え、斉藤はヲタクに萌え、僕は斉藤に萌えている。君は萌えているか



森川嘉一郎の著作は魅力的だが危うさが見え隠れする論理で構成されているが(「趣都の誕生 萌える都市アキハバラ」)、本人のプレゼンを見てどこか納得できた。「ペテン」とは言わないまでも、アジテーター体質ではあるのだろう。DVDで見た東浩紀のプレゼンにも同様の危うさが漂うが、東の場合は<良き質問者>といったところか。いずれにせよプロデューサー的な説得力を楽しませることができる人たちだ。だまされてもいいな、という具合に。



コミケ行ってみたい

■廃墟

■つくば

■顔役/キーマンを踏み台にする(丹下、磯崎)

■笑わせることの大切さ



シンポジウムのあと振り返って、非常に優れた企画だったのだなと感じられるのも、説得力のせいに違いない。ひとつひとつの展示は大したことしてなくて、まさに「まんま」でしかない。だからといって何かが全体の価値を逓減しているわけでもない。意味ではなく、効果こそがモノを言うことの好例だと思う。



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ちこくちこくちこくヘコむよ自分でも。へこまないほどばかじゃないので安心している自分がいるが、そこで危機感をもたない自分に危機感をもたねばならない。それが社会ってもんだろ!!なーんか「頑張らなくても生きていける」って思っているんだろう。ごめんなさい。この年になって、ごめんなさい、って言うのが、また言いづらくなってきてる。愚かだが、だからこそ疲れる。正直言うと、なんでこんなことになったんだろう?って感じです。でもこういう正直な感想なんて思考停止でしかないのはわかってる。だからいえない。出来ません、とは言えない。自分でもわからないんです、とは言えない。ごめんなさい、とは言えない。これがぼくの実態だ。超みじめです。アホがアホなことで迷ってアホなことを言ってるだけです。全部ぼくのせいです。ごめんなさい。謝らなきゃいけないことばっかで最悪です。謝れなくて最悪です。罪は償えないから罪だと思います。あ、別に死んだりしませんケド。こういうこと言ってること自体が思考停止なのか。死ぬために生きるために成せることは何だろう・・・ここで考える振る舞いこそが、思考停止そのものだ。